bottom_arrow 二度の産休育休を経て復帰し、子育てママに優しい環境でお仕事させて頂いております。今はとにかく、やんちゃな二人の男児の育児に奮闘している毎日です。お礼状の校正中、「怒った顔が思い浮かばないくらい穏やかな母でした」「いつも家族のために尽くし休んでいるところを見た覚えがありません」こういう言葉を見かけるたびに、我が身を振り返り反省…。人生の最後を迎え、子供たちが思い出を振り返った時に、優しく微笑んでいる顔を一番に思い浮かべてくれるように、日々心に余裕を持って過ごしていきたいです。業務においても同じく、平常心を保ちつつ、お礼状にかかわる人の気持ちに寄り添うことを忘れずに、校正にのぞみたいと思います。 bottom_arrow 思えば入社2年前 マコセの会葬礼状に出会って取材まで体験していたわたし。あの時のあの電話だったのかと気付いたときには、本当にびっくりでした。偶然とはいえまさかこんな形でご縁があるとは ただただ驚きでした。すぐさま礼状の文面を確認したのが昨日のことのように思い出されます。そんなわたしでも心がけていることがあります。まず 笑顔!基本を忠実に 迅速な対応でお待たせしないようにそして寄り添いながら、思いやり 優しさをもって業務にあたれるよう、日々奮闘中です。そして目立たないよう 陰ながらお手伝いし 少しでも お役にたてるようサポートしていきたいと思っております。趣味は散歩、ウォーキングメリハリをつけてまだまだがんばっていきます! bottom_arrow 末っ子だからか、人間観察が好きでそのおかげか視野を広くするようになりました。周りにいるのは常に大人ばかりだったため、皆の和に入るのがあまり得意ではありませんでした。小さい頃から「先を見なさい。2歩も3歩も先を考えなさい」と言われ育ったせいか今でもその癖は健在。そのため良くも悪くも何をするにも先を考えてしまう。期間はそんなに長くないですが色んな仕事をして、その1つ1つが今の仕事に生かされている気がします。「電話は会社の顔」と先輩から言われ続け今は後輩に指導しつつ、苦手な電話応対も目標とする先輩を目指して日々、努力中。サポートとしてできる仕事を模索し、少しでも他部署の方のサポートができるよう柔軟に対応していきたいと思っています。 bottom_arrow 若かりし頃は歴史学の研究者を目指していましたが、色々あって途中下車しました。人より数年遅れて就職活動を始めるも、書類審査は通るが面接でことごとく落ちるという憂き目にあい、たまたま派遣会社で校正の職を紹介されて以来、校正畑一筋に歩むことに。ますますつぶしがきかない経歴になってしまったものの、黙々と文字を追う仕事はシャイな私にとってはある意味、天職かもしれません。好きなのは、本とねこです。推理小説やSFは無論、漫画からハイデガーの哲学書、聖書から宇宙物理学の本まで古今東西、ジャンル問わず活字は何でも好きです。ねこは主の被造物の中で最も美しいと思います。ねこのように自由に生きたい。引退したらロッキングチェアに揺られながら読書三昧の生活を送り、ねこさまたちとともに穏やかに暮らすのが夢です。そのためにも研鑽を積み、良いお仕事ができるようにがんばります。 bottom_arrow オリジナルの会葬礼状があると知ったのは面接の時でした。初めて目にしたお礼状からは故人の人となりが手に取るようにわかり、ご遺族の気持ちも伝わって、率直に私もこれを作ってみたいと思いました。拙い文章ながら「素敵なお礼状をありがとう」と仰って頂けたときは、ご遺族の気持ちに寄り添い、故人を偲ぶきっかけとなるお礼状は本当に素晴らしいものだと感じたものです。結婚を機に一度退職しましたが、有難いことにまた働く機会を頂き復帰すると、最初の入社当時3名だった礼状作成スタッフは何倍にも増え、取引先様も全国に及んでいて驚いたのと同時に、お礼状の素晴らしさが全国に認められていることを実感しました。少しでもご遺族の想いが伝わるお礼状をこれからも届けられるよう励みます。 bottom_arrow 経験はありませんでしたが、校正の仕事に興味を持ちマコセへの応募を決めました。校正では自分が思っていた以上に漢字が読めずがっくりしたのを覚えています。入社してみると、社長をはじめこんなに社員のことを思い遣ってくれる会社なんだと感じました。会社で不思議だったのは社内に飾っているオブジェの数々。社外の方からも「入り口に宇宙服きた置物があるよね。」と言われます。私自身も建物の裏側にスパイダーマンを見つけた時は驚きました(笑)今後の目標は、変化を柔軟に受け入れられる大人になること。入社して6年ほど経ちますが組織や業務にも色々な変化がありました。すっかり馴染んでいることが変わってしまうのは正直不安です。でもきっと新しい道が開けるんだと思って、仕事に限らず新たなことに飛び込んでいきたいと思います。 bottom_arrow 最近、お父さん お母さんにあと何回会えるだろう。と表紙に書かれた言葉にハッとして『365日の親孝行』という心温まるショートストリー集を購入しました。親にあと何回会えるかなんて考えたことはなかったですし、マコセに入社するまでは たまにしか実家へ帰ることがなかった私です。そんな私がマコセに出会い、いろんな方々の人生や想いに触れることで気持ちが変化していきました。実家へ帰ることもですが、日々生活する中で特別なことはなくても何気なくすごしている時間もすべてが大切で、奇跡なんだと思うようになりました。 社員一人ひとりの事を常に考えてくださっている素晴らしい会社で、働けていることに感謝しています。小さくても楽しみを見つけながら、出来ることを一生懸命に前に進んで行きたいです。 bottom_arrow 「ビビッときた!」これが私がマコセに入社した理由。いつもどこかで手抜きをして、いつも詰めが甘くて、一生懸命するってどうやって?と思っていた学生時代。そんな私がいまや「全力投球!」「決して決して決して諦めるな!」なんて熱い言葉を発しているのだから、人って変われるものなんだなと思う。私が変われたのはマコセのおかげ、そして一緒に働いている方々のおかげだ。校正の仕事は地味で感謝されることも少ない。だけれど、奥深い。苦しくて悔しくて時には涙を流すこともあるけれど、この仕事に、マコセに出合えたことに感謝している。そんな私が大切にしているのは「誰が正しいかではなく、何が正しいかを考える」。尊敬する方に教えていただいたこの言葉を人生の指針にしている。 bottom_arrow 四人きょうだいの二番目に生まれた私は、比較的自由に生きてまいりました。両親の祖父母も近くに住んでいたため季節ごとの行事は皆で集まって賑やかに過ごしたものです。日々の生活の中で家族を大事にする気持ちを自然と学んだ気がします。残された方の気持ちや本音を引き出し、一枚の短い文章に綴られた故人様の人生。誰一人として同じではない生き様を痛感します。だからこそ私達は、寄り添う気持ちを忘れずミスなくお互いに悔いの残らない仕事をしなければなりません。マコセに勤めて数年経ちますが、まだまだ自分の力不足は否めません。それでも”依頼して良かった”と思って頂けるようサポートに徹し、真摯に取り組んで参る所存です。 bottom_arrow 転職活動で色々な職種・企業のHPを見ている中で、マコセにであいました。スタッフが自分の仕事に誇りをもって働いていることが感じられ、また会社の雰囲気もとても魅力的で私もここで働きたい!!と思い履歴書をおくりました。今までの職種とは全く違うので戸惑いやつまづきの連続でしたが、先輩方に追いつきたい、もっと会社の戦力になりたい!という気持ちで乗り越えてきました。まだまだ実力不足を痛感する日々ですが、目標を持ち前に向かう毎日は充実しています。日々の癒しはYouTube。夜な夜なパンダの動画を検索しては視聴しています。かわいさに和まされ、明日も頑張ろうと自分を奮い立たせています。 bottom_arrow 私は幼い頃大好きな父の布団に潜り込んで寝ていました。父はいつも何がしかの書物を手にして横になっていて司馬遼太郎などの歴史ものを愛読していたと記憶しています。私も真似して布団の中で漫画本を見ていたのが本との出会いのような気がします。小学生は継母にいじめられる可愛そうな女の子の物語、中学生はアガサクリスティにハマり…高校生は部活が忙しく短大生は遊ぶことに忙しくゆっくり本を手にしたのは結婚し子供が大きくなってからかと思います。本は手を伸ばせばすぐそこにあり、私をいろんな世界に連れて行ってくれます。マコセのお仕事も文章の仕事。それぞれのご家族にそれぞれのかけがえのない思い出があると日々感じています。お礼状をとおして大切な思い出が素敵な物語になりますよう少しでもお手伝いできたらと思っています。 bottom_arrow 当時、ライターわずか3名体制だったマコセに入社。取材で幾多の人生に触れ、いつしか家族と笑い合って過ごす未来を思い描くように。生前、女手ひとつで育ててくれた母に花嫁姿を見せられたのは、この仕事のお蔭。もはやデスクワークは無謀かと思われたが、天真爛漫な娘ふたりに勇気をもらい、長い休暇を終え、サポートとして復帰。業務は時間との勝負。焦りは校正の視野を狭めると思っているので、急いでいる時こそ平常心で迅速にと心がけている。某店の食パンと包装紙の匂いに目がない。歳をかさねても未知のものを知り、新しいことに挑戦したい。 bottom_arrow マコセに入社し、4月から2年目になります。私は幼少期、母からは姉たちの遊びに必死でついて行き、4歳頃からすでに逆上がりをしたりと、とても活発だったと思います。学生時代バレーボールに打ち込み、バレーボールのおかげで進学、就職が決まりました。学生時代は勉強はほとんどしてきていませんが、最高の仲間に囲まれ、同じ目標に向かって日々を過ごしてまいりました。何かに全てをかけて打ち込むことは、きつくやめたいこともありましたが、とても貴重な経験になりました。社会人になり、いろんな職場を経験した後、マコセに入社し、大切な人とのお別れの場のお手伝いをすることや、ご遺族さまのお気持ちを形にするという素晴らしい仕事に出会うことができました。まだこれからもっといろんなことを学び、この仕事を多くの人に知ってもらいたいと思います。 bottom_arrow どうせなら違う土地へ行ってみようと関西へ進学し、そのまま大学・メーカー・病院などで働いていました。Jターンしようと転職活動を始めところ、以前手に取った本に出ていたマコセの求人が。学生時代、国語の試験で出題文をうっかり読みこみ、うるっときていた自分にできるだろうか、と思いつつ応募してみたところ採用していただきました。仕事で様々な背景の方の礼状に携わることで色々学ばせていただくとともに、ふと田舎の両親のことを考えることが多くなりました。同時にご遺族様がマコセに頼んで良かったと思ってもらえるようなお礼状作りのサポートができればと強く感じます。趣味は子供の時から読書。実家には家中の本が詰め込まれた本棚がありその下で過ごすのが常で、親の仕事の専門書などわからないなりに興味深く読んでいました。今でも外出するときは、必ず一冊の本をカバンに忍ばせてあります。 bottom_arrow 子どもの頃から本が大好き。友達と図書館に通い、家でも本に囲まれクリスマスは毎年本のプレゼント。ありクリスマスの朝「参考書を買ってね。南方サンタより」と手紙付きの図書券。(母の文字)現実を知る。学生時に父が他界。「暗いと不平を言うよりもすすんで灯りをつけよう」が口癖だった。マコセとの出会いは12年前。家族の想いや故人様の人となりがお礼状につまっていて感動する。その後、子育てと共に退職。2人の子どもの子育ての中、世の中がコロナで生活を見直すきっかけに。数々のお仕事の中でやりがいのあったマコセで10年ぶりに働くことに。お礼状につまった一文字一文字と丁寧に向き合いたい。日々バタバタですすんで灯りをつけられないけれど、今ある灯りを大事にしたいと思う。 bottom_arrow 祖父が亡くなった時、初めて手紙をしたため、葬儀の最後に読み上げました。もしかしたら 当時まだ名も知らなかったマコセとの出会いは、そこから始まっていたのかもしれません。それから数年後、参列した知人の葬儀で 一枚のお礼状を手にしました。涙がこぼれ、私の心をあたためてくれた一枚。祖父の時も このお礼状があったらなぁ…そう思いました。そして就職活動中にマコセの存在を知ったのです。国語は昔から大の苦手だった私ですが、迷わず試験を受けました。一枚の手紙から感じた「思いを伝える」ということが、どれほど遺族にとって大きな力となるかを葬儀を通して知ったからです。ライター時代でも、校正者としての今も、同じように手にされた方がいつか一歩を踏み出せるように。そのお手伝いを出来たらと思っています。 bottom_arrow 毎日を大切にしよう。20年ほど前マコセで働いていた時には思わなかったことを感じるこの頃です。自分も周りも歳をとった今、砂時計のさらさらと落ちる砂の音が聞こえてくるようで…。仕事は一生懸命、家事はそこそこ、楽しむ時はめいっぱい満喫しようと休日の優先事項は、テニスと山登り。悲しいかな長年の運動不足ですぐにバテるので、体力強化のためのウオーキングは欠かせません。愛犬との早朝散歩は11年来の日課です。揺り起こさないと目を覚まさない時はきゅっと胸がつまりますが、歩き出せばぐいぐいと引っ張り安心させてくれます。曙色の空に桜島が浮かぶ様がおがめる日はとても得した気分。この何気ない日常が続いてゆくことを願いつつ、今日もお仕事に励みます。 bottom_arrow 〝学校に漫画を持ってきてはいけません〟ありがちな小学校の決まりにより私が目をつけたのは図書室の児童書たちでした。文字の羅列なんて面白いのか?と思いつつ読んでみればどんどんハマれる楽しい世界が・・・!そして現実逃避も兼ねて本の世界にのめり込んだ若き日。分からない言葉が出てきた時のために辞書を携え、『にのきん』よろしく登下校中も歩きながら読書読書。そんな趣味が今の仕事に少し活かせているのかも知れません。どんなことでも役に立つ時があるのだと身を以て感じた入社初日が懐かしいです。今でも大好きなファンタジーの世界に思考を飛ばすべく漫画を読み、ゲームをし、小説を読んでと日々を充実させ、そこかしこからかすかな知識を蓄えております。これもいつか仕事で役に立つはず、そう信じて今日もお礼状一本、真摯に向き合います。 bottom_arrow 「頑張れば、必ずどこかにつながる」をモットーに学生時代、20代を過ごしてきました。心理学を学んでいた大学時代に、インターンで取材・執筆に挑戦したことで、想いを形にする難しさと楽しさを学びました。その後は事務や秘書をしていましたが、お客様に愛される仕事を生み出す環境について学びたいという気持ちが大きくなり、アメリカのディズニーでの就業プログラムへの挑戦を決意しました。残念ながら、コロナ禍のため直前で渡航中止になってしまいましたが、それまでの努力が1つ1つ次のステップに繋がることを体験として学べたので、今後もこの経験を活かし、人の心に触れられる仕事ができるプロを目指して行きたいと考えております。 bottom_arrow 前職で実力不足を感じ、「好きなこと」ではなく「得意なこと」を活かし少しでも多くの人の役に立ちたいと考え、退職後マコセに応募いたしました。もともとネガティブ思考で自分に自信が持てない性格ですし、物覚えが悪い自覚もあり、母には「マコセでダメだったときのために次のことも考えておきなさい」と言われたほどです。私も初めは、そうしようと考えていました。しかし、上司の方とお話をする機会があり、お礼状への熱い想いを伺って「私はここで働きたい」と思いました。その上司の言葉で特に印象に残っているのが『お礼状制作は人の人生に触れられる素敵な仕事だけれど、取材やお礼状に書かれていることだけが全てではないし、お礼状を読まれたご遺族に前を向いてもらいたい』という言葉です。全く違う業界に飛び込んだことで不安も沢山ありますが、優しい先輩方と共に思いやりを忘れず精進してまいります。 bottom_arrow マコセエージェンシーに入社した日に一番心に残ったのは、ご遺族より寄せられた言葉やエピソードから文章をつむぎ出し、「かたち」に残すために模索しているスタッフの姿でした。それはそれぞれの役割を担ったスタッフが故人やご遺族に向き合い、最後の挨拶として最上のものになるよう心を尽くして作り上げるお礼状です。そのお礼状にはご遺族がよく知る姿だけでなく、誰かにとっては意外な一面が書かれていることがあるかもしれません。過去にマコセで作られたお礼状を読むと、それは故人のお人柄が慕ばれる『履歴書』のようにも感じました。その大切なお礼状を手にされる方々のことを心に留めて、この仕事に携わっていきたいと思います。 bottom_arrow 前職での経験を活かせる仕事を探していたところ、マコセの求人を見つけました。故人・ご遺族の思い出を形にする、ほかではできない魅力的な仕事だと思いました。体験入社を通し、先輩方が自分の仕事に誇りをもって働いていることを感じられ、入社後も忙しい中でも丁寧かつ迅速に仕事をする姿をみて、私も早く仕事を覚え貢献したいと思いました。自分にできることをひとつずつ増やし、思いやりを忘れずに、一生懸命、頑張ります。 TOP オリジナル会葬礼状 礼状ができるまで オリジナル台紙のご紹介 私たちが選ばれる理由 writer support メモリアルDVD 社葬・合同葬・お別れの会 会葬礼状台紙 葬儀後のお礼状 オリジナルナレーション喪主挨拶・弔辞 会葬パネル 忌明け礼状・喪中はがき アフターフォローツール ご不幸新聞広告 個人でお申込の方はこちら