「いいじゃない。是非呼んでください」社長のそのひと言に背中を押され、
講演会の準備が始まりました。
レポート用紙に10行ほどで綴られた、亡きご主人様からのお手紙に
生きる力をもらわれたという村山順子先生。
『いつも生き生きしている順子を見るのは心うれしいものです。
そばにいて欲しくて、いろいろ言うけれども、己の信じる道を歩んでほしい。
本音を言うと、そんな順子を見せびらかせて歩きたい気持ちだ……』
ご主人様の素直で真っ直ぐな思いにとても感動した私。早速メールを送ると
すぐに快いお返事を頂き、18通のメールを先生と直接やりとりして当日を迎えました。
メールの文字から伝わってくるのは、先生の明るく元気なお人柄。
どんな方なんだろうという楽しみな気持ち半分と緊張が半分、
そわそわしながら お約束の時間に駅に向かいました。
お名前を書いたボードを持って改札に立っていた時、目が合った瞬間 ぱっと嬉しそうな笑顔を
見せてくださったのは、紅葉色の華やかなスーツをまとった小柄な女性でした。
今思い出してみても、生き生きした〝順さん〟によくお似合いだったなと感じます。
社長との対談と社内見学を終えられた村山先生は、講演会直前まで「大丈夫かしら?」と
おっしゃっていましたが、いざ檀上に立つときりっと前を向き、
明るく大きな声で話し始められました。
13歳で故郷の沖永良部を離れ神戸の叔母様のもとで下宿をされ学業に励んだこと、
親のために自分ができることを精一杯やろうと前に進んできたこと。
そして最愛のご主人様との出会い、幸せなご結婚生活を送っていらっしゃったこと。
先生の〝じゃじゃ馬〟エピソードには、思わず笑ってしまいました。
先生はご主人様が亡くなる40日前に書いたという直筆のお手紙を見せてくださいました。
「私の誕生日でね、飲みに行って人生ではじめてハシゴをしました。
ここのところ、黒く消してあるでしょう?几帳面な人だったから、酔っていた証ね」
と笑う表情はとても幸せそうで、先生のご主人様は今も思い出のなかに、お手紙のなかに
生きているんだなあと感じました。
その他にもご家族間でやりとりされたお手紙を読みあげてくださった村山先生。
普段呼んでいるままのニックネームに関西の言葉遣いなど、そこに家族の光景が溢れていました。
シンプルで素直な気持ちが そのまま綴られているお手紙に不思議とどんどん引きこまれていくのは、
「相手に届けたい」という強い想いがあるからなのだと思います。
私達のお仕事はお礼状を書くことではありません。ご遺族の想いを届けることです。
いつでもそのことを忘れず、一本のお電話、一枚のお礼状を大切にしていこうと思いました。
懇親会では料理をはじめ歌や踊りをとても喜んでくださり、終始笑顔の村山先生でした。
お話もはずみ、お手紙に関することは勿論、ご主人様のことも沢山聞かせてくださいました。
和やかな雰囲気のまま夜は更け、気づけば今日もあと1時間ちょっと。
皆で笑顔の記念写真を撮って、村山順子先生のお手紙のセミナーは修了しました。
手紙を書くこと、想いを伝えることの大切さを教えてくださった村山先生、
本当にありがとうございました。